偽書は一体何のために

今回の考察対象は「八城十八は一体何のために偽書を書き続けていたのか」。

前提は以下。
・八城十八=右代宮戦人 である
・ただし十八の中に戦人であった人格は存在せず、
 彼は「戦人」に自分がなってしまうことを恐れている
・八城十八が書いたエピソードと思われるのはEp3以降

今回の仮説としては、
「八城十八は自らの記憶を整理するために偽書を書き続けていた」である。

また、メタ世界でのやりとりは、
そのまま「戦人」に呑まれかけている十八の葛藤のメタファーであると考えられる。

つまり、全てを人間原理の現実とすれば戦人は島から帰れる
=十八が戦人になる であり、

逆に魔女に屈服し、戦人が幻想世界の住人になってしまえば、
現実の住人である十八は「戦人」と別人になれるのである。

この仮説を元に、エピソード順に考察する。

#Ep1〜2
幾子のもとで目覚めた十八、
六軒島ボトルメール(EP1・2)をきっかけに記憶が戻りはじめる。
記憶整理の一環として執筆活動を開始する。
なお、2まではヤスが書いたエピソードなので、執筆動機は異なる。

#Ep3
EP2までの基本ルールと人物描写、「右代宮絵羽が生還した」という現実から
EP3『Banquet of the golden witch』が書かれる。
ポイント
・作者が交代したが故にここからキャラの追加投入が加速
・最後に戦人が絵羽に明確に殺害されている=十八が戦人を抹殺しようとしている
・戦人が魔女を認めかけた=十八が戦人を幻想の住人化しようとした

実際のところ、ここで十八はかなり安定しかけたのだと思われる。
現実に近い形(絵羽のみ生存)のエンドにすることでゲーム盤視点で戦人を殺害し、
メタ世界の戦人も幻想の住人になりかけていた。
ただし、ここで想定外の事態が起きたのだと思われる。
それは、右代宮縁寿からの会談要請。
これにより十八内に
「自分が右代宮戦人である事に向き合わねばならないのではないか」という葛藤が発生。
結果として偽書内(裏お茶会)に縁寿が乱入、ゲーム継続となる。


#Ep4
記憶と深く向き合う、つまり「六軒島事件とは何なのか」を整理するために
EP4『Alliance of the golden witch』を執筆開始。
ただし、十八は1998年パートを書いていない。

※戦人の記憶で1998年の出来事は記述できない。十八には取材も出来ない。
 故に、1998年パートは偽書内にはない、あるいは幾子によるもの。

十八は、「右代宮戦人」に飲まれる恐怖から精神の平衡を失いつつあったと考えられる。
「グレーテル」が「戦人」に正体を明かしてはいけないのは、
縁寿との対面を恐れる十八の精神状況のメタファーと捉えることが出来る。

十八は、「右代宮戦人」の記憶を持つのに自分はそれを他人としか捉えられないので、
メタ戦人がベアトに「お前は戦人ではない」と追求されるシーンが出現。

葛藤の果てに、「作中で縁寿を殺す」事で無理矢理平衡を取り戻す。
ただ、罪悪感は抱えているので「必ず帰る」とメタ戦人は言う。

「縁寿」を殺したことで以後作中の「戦人」が逆に十八に近付いて行く。
今までの「駒の戦人」は家族の死に対し怒り嘆き悲しむが、
十八にとってはそれは他人事なので以後の戦人が冷徹なミステリ論理で動きはじめる
(ep4で戦人がやたら冷静に検死を行っているのはこのため)


#Ep5
「戦人」を家族への感情から分断して書くことで
記憶と精神の折り合いを取る可能性に気付いた十八、
「戦人」以外の探偵を投入し、家族を完全に他人(駒)と見る事を試行。

EP5『End of the golden witch』を執筆開始。

「自分が右代宮戦人である」という事実から逃れるための執筆なので、
この偽書には縁寿は登場しない。

加えてこの偽書は「六軒島事件」を完全に物語化し、
現実の十八と切断するためのものなので、
フィクションの作法である探偵宣言やノックス十戒が乱舞する。

十八は最終的に、「右代宮戦人」を「幻想の住人バトラ」に追いやってしまう。


#Ep6
「戦人」を「バトラ」にしてしまうことで落ち着いたので、縁寿が再び登場しはじめる。

「幻想の住人バトラ」を確立させるために
EP6『Dawn of the golden witch』を執筆開始。

最終的に「現実で八城十八を脅かす右代宮戦人」はいなくなり、
「幻想の登場人物バトラ」だけが残る。


#Ep7
「現実に存在したヤスと戦人の記憶」を過去のものにするために執筆。
もはや自ら(主観視点)を「戦人」に置けず、
さりとてヱリカでは執筆主旨と異なってしまうため、
主観視点キャラクターとしてウィルを投入している。


#Ep8
「縁寿と右代宮戦人の関係」の精算のための物語。
恐らくこの偽書は公開されていない。
右代宮戦人はもう死んだが、右代宮縁寿を見守っている」
という心境に十八自身を導くための物語。

一なる真実の書絡みのごたごたは、そのまま現実にあった葛藤のメタファーであると考えられる。

かくして六軒島魔女幻想は世間から忘れ去られ、
十八の中でも別人の物語として完全に落ち着く。
魔女幻想、散る。

○残る要考察ポイント
・戦人の記憶だけでは1998年パートはともかく、ヤスの過去を書くことが出来ない。
 (戦人が霧江の子であることは直接聞けばいいが、ヤスのことは情報量的に困難)
 にもかかわらず描写されている。それも詳細に。

 →幾子は、ヤスなのではないか?

 幾子=19子 という考察は他の人もしているが、
 そもそも使用人の間でのあだ名の付け方からして、「やしろ」→ヤス という短縮であった可能性も。

 この場合、当然ながら幾子が十八に語った来歴は全て嘘、となる。
 そもそも十八にはそれの真偽を確認する必要はなかったと思われるし、
 十八だけを騙すのならヤスの財力をもってすれば容易であっただろう。

 なお、「右代宮戦人」を抹殺したがっている十八はともかく、
 幾子がどうして絵羽や縁寿を貶めるような偽書を公開し続けたかであるが、
 幾子=ヤス であればそれもある程度理解できる。
 「ヤスは、自由意志で行動を決められない」のだ。
 だから流されるままに偽書を公開しつづけ、また作中のフェザリーヌも自ら行動を起こさない。
 結果として誰が死のうが誰が不幸になろうが構わない。
 そう、ヤスと幾子のスタンスは終始一貫しているのだ。