「戦人の主観」はどこまでなのか

発端は2chうみねこスレで発見された、
『戦人がEP5で真相に至ったシーンでの各EPフラッシュバックが実際のEPと違う』という大事件である。
具体的には、EP2で戦人と楼座が会話しているシーンが、
フラッシュバックでは会話文章はそのままに、立ち絵グラフィックが『戦人と霧江』になっていたのだ。


涼原/akiharu さんの発言 (1:24):
うへえ
あー。そういうこと?「信じられるのは文字情報だけ」なのか?
グラフィックから何かを読み取ろうとすると魔女の罠に引っかかる、と

444 さんの発言 (1:25):
ひでえ

涼原/akiharu さんの発言 (1:26):
そういう意味で一番刊行速度が遅い講談社box版が一番正確な記述になるというのは面白いギミックだと思うが

444 さんの発言 (1:26):
あっはっは

涼原/akiharu さんの発言 (1:28):
うん。「グラフィックは信用できない」は六軒島幻想ルールとして何ら問題ないぞ。
記述されていない情報は魔女によってねじ曲げられるのが六軒島幻想だ

444 さんの発言 (1:28):
もともとボトルメールだしな

涼原/akiharu さんの発言 (1:29):
だから話者をきちんと記述していない部分はいくらでも差し替えられてしまうんだ
ひでえ。ビジュアルノベルのビジュアル全否定ギミックって熱いな!

444 さんの発言 (1:46):
ああ、ビジュアルが信用できないんだったら、
Ep4の下位世界ベアトの外見や、
Ep1ラストのベアトの外見を気にしなくてよくなるね

涼原/akiharu さんの発言 (1:47):
そうだねえ
それを見た際の反応さえ合ってれば、どんな姿に書き換えてもいいんよなー

444 さんの発言 (1:50):
ああ、そだ、また思い出した
戦人がEp5で真実を知る場面で
七杭にもてあそばれるさくたろうのシーンがある理由
家具の正体に気づきやがった!

涼原/akiharu さんの発言 (1:52):
ほう?

444 さんの発言 (1:52):
エンジェの一人遊びじゃん、これ

涼原/akiharu さんの発言 (1:52):
あー、なるほどな!
あ、それを踏まえてEp6バトラの周囲を考えると面白いな。

444 さんの発言 (1:53):
ふむ

涼原/akiharu さんの発言 (1:53):
戦人、魔術師化したけど七杭は周囲に置かない、ワルギリアもロノウェも置かない。
置いているのは熊沢と源次なんだよ。
つまり、家具の実体が見えちゃってるからこそ、幻想の家具を置かないんじゃね?

444 さんの発言 (1:54):
なる

涼原/akiharu さんの発言 (1:54):
何もかもが空しくなるから。

444 さんの発言 (1:55):
これも真実を知る場面にありやがった・・・(各種スクリーンショット

涼原/akiharu さんの発言 (1:56):
自分の視点のどこまでが幻想なのか、を理解したんだな……
つーか、「自分の見た物」の幻想分岐点を理解したことにより、Ep4における下位ベアトとの対峙シーンで、自分が本当は何を見ていたのかを理解したんじゃないか?

444 さんの発言 (1:57):
なるほど
つかEp5、ベアトとか夏妃の家具だな

涼原/akiharu さんの発言 (1:59):
ほら、EP5で戦人が「俺は探偵役ではない!」を武器にしたのって真実に至った後だろ?
つまり、自分の視点は確固たる真実である、という幻想を捨てたが故にそれが出来たんじゃないか?

444 さんの発言 (2:00):
で、Ep6がそうなんだよ

涼原/akiharu さんの発言 (2:00):
うん。

444 さんの発言 (2:01):
「密室ができれば死体はなんでもよかった(Ep5TipsおよびEp6の死者)」
「探偵権限がなければ死体を見てもどんな死因かすらわからない」

涼原/akiharu さんの発言 (2:02):
そりゃ真相に至ったことを証明する為のゲームに相応しいトリックだわ
で、これを突き詰めると、ベアトは戦人の視界から何を隠したかったのか、という方向になって面白いな

444 さんの発言 (2:03):
「私はだあれ」

涼原/akiharu さんの発言 (2:03):
ベアトの正体はともかく、楼座を霧江に差し替えることにどういう意味があったのか。
まあ、普通に他にもシャッフルされまくってることの示唆なのかなあ
あー、これひどいな。アニメで解けるのか? つまり「アニメでのビジュアル及び音声も全て改竄済」って事を意味してるぞ!
アニメでは本格的に赤字以外何も信じられねえ!
で、アニメではビジュアル及び音声が改竄されてる=シャノンとカノンの関係 であるわけだ

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その後、444さんによる更なる推察。
「グラフィックは三人称の地の文と同じ扱いなのではなのではないだろうか」
なぜならば「戦人本人のグラフィックが描写されている。つまり第三者による観測である」
故に、戦人の一人称とは違い、幻想によって塗り潰される対象となる。